10年前位から、全国のJR及び民鉄すべての電車に乗る旅を続けている。
事の始まりは、娘から「鉄道の旅手帖」という本(実業之友社発行)を誕生日祝いに貰ったことにある。
品質システムマネジメントの審査員をしていることから、
自分自身で目標を立てて達成することを進めている。
この鉄道全線走破に臨む前にも1年間で全都道府県に行く計画を立て、達成していた。
このことを知っていたので、娘がこの本はお父さん向きだと言って買ってきてくれたものと思われる。
東北、北陸、関東、東海道、四国は、ほとんどの路線に乗っているが、九州が遅れていた。
福岡市での講演会を機会に、宮崎、鹿児島、熊本を中心とした旅行を計画・実施した。
旅をしながら、だらだらと書いた報告である。
2018年2月21日(水)夜に小倉に着いた。
第1日目〔22日(木)〕は、小倉から日豊本線の特急「にちりん3号」に乗り、
南宮崎から日南線に乗り継ぎ志布志に行き、南宮崎に戻って日豊本線で
都城、吉都(きっと)線に乗り換えて吉松まで行く計画である。
小倉を出て、うとうとしていると別府、大分であり、そのあと旭化成の工場のある延岡を過ぎた。
海岸線で海が見えたり、山の中を走ったりしている。
宮崎の手前の車内放送で、
予定していた南宮崎の一つ手前の宮崎から志布志行きが出ていることが判った。
南宮崎駅より宮崎駅の方が美味しい食べものがあると考え、宮崎駅で下車した。
ここまでの乗車時間は約5時間である。
昼食は、宮崎牛のハンバーグを食べた。
宮崎から志布志へ行く電車は1両編成である。
途中に観光地「青島」があることからか乗客が多かった。
また、油津駅には広島東洋カープのキャンプ歓迎の横断幕が張ってあった。
途中からは、高校生が乗車して来た。ローカル線に乗るとどこも高校生が多い。
志布志駅には2時間30分で着いた。
この駅は、廃止になった西都城駅へ行く志布志線と国分駅へ行く大隅線の始発駅であった場所である。
駅前の鉄道公園に展示してあったC58蒸気機関車を見学したのち、
近くのスーパーで夕食のお寿司を買い入れた。
1時間ほど滞在して、南宮崎へ向かうが、直接行く電車がなく終点の油津駅で乗り換えた。
エキスパートでは南郷駅乗り換えとなっていたが、
運転手に聞くとどちらでも同じとの返事であったので油津にしたが、
油津で反対方向に行く電車が南郷で折り辺して帰ってくる電車に乗ることになった。
南郷で待っていた方が良かったか。
九州は陽が落ちるのが遅いが6時半頃になると暗くなってきた。
南宮崎駅に19時前に着き、特急きりしまで都城駅へ行く。
乗客が少ないと言われている吉都線で吉松駅へ向かう。
吉都線の途中には、高校駅伝で有名な小林市がある。乗客はそれなりにいる。
周りは暗くて見えないが、明日もう一度この線を走るので見ることができる。
21時30分に吉松駅に着いた。
今日、電車に乗っていた時間は12時間30分である。
吉松駅には、旅館「森のやかた湯ったり舘」の方が迎に来てくれていた。
志布志駅で旅館に電話をいれた時、
タクシーはないかも知れないから迎えに来てくれるとのことでお願いした。感謝。
泊まった部屋はコテージで広い。本館にある温泉大浴場でゆっくり温まり寝る。
第2日目〔2月23日(金)〕の予定は、吉都線で都城へ戻り、日豊本線で鹿児島中央へ、
そこから指宿枕崎線で枕崎まで往復、鹿児島中央から鹿児島本線の鈍行電車で川内、
肥薩おれんじ鉄道で八代、そして最終到着地新八代である。
朝起きたら、旅館が高岸にあることが判った。部屋が広いので中々温まらない。
本館で朝食。丁度山あいから朝日が登って来るのが見えたので、写真を撮る。
駅まで送って貰い、吉都線に乗る。右側に霧島山塊を見ながらの列車の旅である。
山の所々に雪が残っている。明日乗る予定の肥薩(ひさつ)線(八代-吉松間)と
この吉都線を含めて「えびの高原線」とも言うらしい。都城駅に10時45分頃着く。
鹿児島中央まで特急に乗る方法もあったが、枕崎へ着く時間が同じなので特急券代を節約した。
乗り換えに30分以上時間があったので、駅周辺を歩き、セブンイレブンで昼食を購入した。
都城を出て、日曜日に使用するスライドの見直しをしながらうとうとしていると国分であった。
隼人を過ぎ、錦江、姶良に来ると乗客も多くなり立っている人もいる。
左手を見ると錦江湾に浮かぶ桜島が見えてきた。桜島を見ながら鹿児島中央駅に12時前に着く。
枕崎行き電車への乗り換え時間は10分である。指宿枕崎線に乗ると桜島の噴煙が見えた。
ところどころで揺れが大きく、身体が飛び上がる位でパソコンも打てない状態である。
脱線しなければ良いが。平川まで来ると海岸線を走り、海がきれいで遠くに桜島が見えた。
平川駅は、知覧特攻平和会館に行くルートの一つである。
50歳の時、加世田市(現南さつま市)の「万世特攻平和記念館」を訪ねた時のことを思いだした。
伯母の弟が加世田から特攻隊員として出撃したこと、友人に加世田出身の人がいたことから訪問した。
電車は指宿を過ぎ、JR日本最南端の駅「西大山駅」に止まった。
JR九州のサービスで2分間停車して記念撮影をする時間を配慮してくれた。
開聞岳と共に写真に残した。因みに、最南端の駅は沖縄のゆいレール「赤嶺」であり、
最北端の駅は「稚内」、最西端の駅は「たびら平戸口」、最東端の駅は「東根室」である。
まだ、東根室には行っていないので、6月の札幌出張に合わせていく計画である。
このような場所にも中国人が20名程度いた。最近は、どこへ行っても中国人がいる。
枕崎駅には14時30分頃着いた。現在は廃止になっているが、
1984年までこの駅から鹿児島本線の伊集院まで鹿児島交通の電車が走っていた。
出発まで1時間30分あったので町の中を散歩した。駅近くのスーパーでかつ丼とつまみを購入した。
現在までの歩数は10,800歩である。
来るとき海側を見てきたので、帰りは内陸側の山を見ながら帰る。
天気も良く、山が良く見える。帰りの電車も揺れが大きいが行きほどは大きくはない。
行きは2両目の一番前に座り、帰りは1両目の1/4位の場所に座った。
座席の位置によるようである。
喜入駅に止まっている時、スマホの万歩計を見たら1,000歩ほど歩数が増えていることに気がついた。
坐っているだけなのに増えているのは、電車が揺れていることが原因と考えられる。
実際の歩数は、これらを差し引く必要がある。鹿児島中央駅に18時41分に到着した。暗くなってきた。
歩数計は12,600歩である。
鹿児島本線川内行が18時53分に発車である。
鹿児島本線は、鹿児島‐川内間と八代-門司港間と2つの路線に分かれており、
途中の川内‐八代間が、新幹線開業に伴い第三セクター鉄道会社(熊本県、鹿児島県、JR貨物などが出資)
である「肥薩おれんじ線」に代わっている。
鹿児島本線は予定通りに出発し、1時間で川内に到着した。
乗客数は、座席の半分くらいであり、川内まであまり変わらない乗客数であったが、
電車の揺れはそれなりに大きかった。
川内から八代までは、「肥薩おれんじ線」で2時間半の旅である。
電車は奇麗で、色々な企画の広告があり、第三セクターらしく経営努力していることが良く判る。
電車の揺れは少なく快適であるが、運賃は高い。
ツルの渡来地で有名な出水、水俣病で有名な水俣などを経て八代に向かう。
この線に乗って、枕崎で買った「かつ丼」をやっと食べることができた。
外が暗くて何も見えないので、日曜日に使用するスライドの選別をしたが、最後に電池切れになった。
八代から新八代までは鹿児島本線で3分である。揺れは少なかった。
23時に新八代駅到着、駅前のホテルに入り、24時に寝る。今日の乗車時間は、13時間である。
第3日目〔2月24日(土)〕は、計画を少し変更して「くま川鉄道」にも乗ることにした。
6時36分発の鹿児島本線で八代に戻り、そこから肥薩線で人吉に行く。
人吉温泉まで歩いて「くま川鉄道」の湯前(ゆのまえ)まで往復、
人吉から肥薩線で隼人に行き、昨日乗った日豊本線で桜島を見ながら鹿児島中央まで、
そこから新幹線で博多である。
第1日目、第2日目に比べればゆとりのある旅である。
八代を出ると、右側に球磨川が流れており、良い景色である。
球磨川は、熊本県内最大の川で、川下りもある。
最上川、冨士川と並ぶ日本三大急流の一つで、川下りもできる。
「鉄道の旅手帖」によると、「大畑駅近くではループとスイッチバックで九州山地を超える。
矢岳、真幸駅でもスイッチバックがある」と記載されていることから見ると、かなり急勾配を登ることになる。
一昨年、今年3月で廃線になる「三江(さんこう)線」に乗った時のことを思い出した。
「江(ごう)の川」に沿って、広島県三次市から島根県江津市に至る電車であり、
直通は1日に2本しかない。「江の川」が綺麗であった。
瀬戸石を過ぎると球磨川が左に見えるようになり、座席を左側に代える。
球泉洞駅では太陽が眩しい。
球泉洞は、球磨森林組合が管理している延長4.8kmの九州最大の鍾乳洞とのことである。
渡駅の手前で球磨川が右側に変わる。
渡駅に「肥薩線沿線観光之図」があり、スマホで撮影する。SL人吉号が走っているようである。
人吉駅に着くと、隣りのホームが「くま川鉄道」であった。
くま川鉄道は、人吉球磨の市町村が出資して平成元年に運行を開始した
第三セクターであり、利用客の8割が高校生とのことである。
年々利用人員が減り続けていることから、
旅行業、観光列車の運行も行っており、
土日祝日限定で観光列車「田園シンフォニーはぴねすトレイン」を運行している。
この観光列車は、「日本遺産に認定された人吉球磨の幸せを探しに行くご利益列車」と宣伝している。
人吉球磨は、鎌倉時代から明治維新までの約700年間相良氏が納めた地域であり、
その中で受け継がれた文化財や風習、地域の歴史を結びつけて紡がれた物語が、
日本の文化・伝統の魅力を伝えるものとして2017年に日本遺産に認定されている。
くま川鉄道は、日本で最も豊かな隠れ里「人吉・球磨」の田園の中を走る奇麗なローカル電車であり、
気持ちが和む気がした。折り返しの電車に乗って人吉温泉駅に戻った。
人吉駅から乗った「いさぶろう・しんぺい号」は特急券が必要ないことから普通の電車と思っていたら、
観光列車で座席指定があった。乗車できないかと思ったが、
長椅子は指定券なしで座われるとのことで助かった。
いさぶろうは、肥薩線(当時は鹿児島本線)開業当時の逓信大臣山縣伊三郎、
しんぺいは鉄道院総裁後藤新平の名前からとったものとのこと。
観光列車なので、車内観光案内やビデオ(先頭車両の景色)などの設備が整っている。
半径300mのループ線が始まった「おこば駅」では、5分間停車し、写真撮影の時間があった。
その後、スイッチバックをして急勾配を登って行く。
名物の「栗めし弁当」を車内販売で購入した。
日本三大車窓の一つ霧島連山が見える所でも停車し、写真撮影をする。
見幸(みさき)駅でもスイッチバック。「幸せの鐘」(これが幸せを探しに行く旅?)があった。
地元特産品の販売もあり、ゆで卵3個100円で購入した。まだ温かい。
次は、この電車の終点で一昨日宿泊した吉松である。
吉松駅に着き、改めて駅周辺を見るとSLの展示や石倉などがあった。
駅ホームでは、今日65歳で退職する人のお別れセレモニーを行っていた。
駅にある畳みつきの待合室で栗めし弁当を食べ、SLを見学して12時前に隼人行きの電車に乗る。
この電車では、霧島連山が左に見えると考え左側の座席に座り、
遠くに霧島連山を見ることができた。
隼人から鹿児島本線で鹿児島中央、鹿児島中央で乗り換え九州新幹線さくらで博多に16時前に着いた。
今回の旅行は、2年半前に青森、北海道を旅行して以来の大規模なものであった。
まだ、鹿児島と熊本の市電に乗車していないので、もう一度訪問しなければならない。
6月にも九州にくる予定はある。
ホテルに帰り、明日の講習会の準備も終わり、夕食も済んだ。
もう一つの宿題である報告書を作成して寝る予定です。
このような、どうでも良いことでも、
目標を持つことで気力を養い、健康寿命を延ばしたいと考えています。
読んでいただけた方には、感謝いたします。
またの機会に報告いたします。