北海道(帯広、根室、釧路、網走、函館)列車の旅

投稿者:飛坂基夫(技術士(建設)/博士(工学))


帯広への出張と「大人の休日パス」割引切符の時期が一致したので、道東を中心に北海道でまだ乗っていない列車の旅に行くことにした。3年前にも同じ時期に青森から函館、小樽、留萌、夕張などを訪問し、最後は稚内に着き、そこから飛行機で帰宅したことがある。

今回は、行きに飛行機を利用し、帰りは新幹線を使用することにした。
「大人の休日パス」は、JR東日本とJR北海道の全線を5日間乗り降り自由、新幹線も利用できる切符である。

<第1日目>
飛行機に乗る前に、「大人の休日パス」を有効活用して乗った記憶が明確でない「青梅線」に乗ることにした。
2018年6月22日(金)7時18分川越駅発八王子行きの川越線に乗った。高麗川からは八高線である。この線は、甲府方面に行く時よく利用する線である。拝島につく前に、五日市線内の踏切で非常連絡ボタンが押され安全確認を行ったことにより電車が遅れるとの案内があった。また、拝島駅に着くと東小金井駅で急病人介護をしたため中央線から青梅線に乗り入れている電車が遅れているとの案内があり青梅線も遅れた。8時35分発遅れの電車で拝島から青梅まで行く。青梅線に乗ると席を譲られた。年寄りと思われたのか、疲れた顔をしていたのか判らないが、とりあえず好意を受けることにした。青梅駅で待っていてくれた奥多摩行きに乗り替えた。天気が良いため、山が身近に見え奇麗で気持ちが和む。ハイキング客もいる。9時30分に奥多摩駅に着く。到着した電車が折り返しすぐ発車するので、改札口を出ないで引き返す。青梅で乗り換え、東京行きの快速電車に乗った。このまま新宿へ行き、山手線に乗り換えて品川から京浜急行線で羽田空港に行くつもりであったが、立川駅から南武線に乗ることに変更した。この線も乗ったような気がするが川崎まで乗ったか記憶が明確でない。分倍河原、稲田堤、登戸を過ぎた所で緊急停止があり、踏切安全確認で遅れが発生した。武蔵溝ノ口を過ぎて川崎に着く。昼食を食べて、京浜急行線で羽田空港国内線ターミナルに着いた。
13時50分発ANA4725便に乗る。買い求めておいた津村節子著「明日への一歩」を機中で読んでいたら、昭和29年に夫で作家の吉村昭氏と一緒に衣類の行商を兼ねた新婚旅行で函館、札幌、根室を訪問したという記述に遭遇した。明日の夕方から根室、釧路、網走、旭川、札幌、函館を訪問するので、何となく嬉しくなる。津村節子さんは、疎開と終戦後川越市の隣にある入間川(現在の狭山市)に住んでいたとのことである。
15時30分前に新千歳空港に着く。新千歳駅は改装中であり、待合室も使えなかったので、15時45分発の電車で南千歳まで行き、「明日への一歩」を読んで暇つぶしをする。
16時41分発「スーパーとかち5号」に乗り石勝線で帯広に向かう。電車は、広々とした北の大地の中を静かに進んでいく。追分、新夕張は、3年前に乗っている。占冠(しめかっぷ)では駅のホームが少し雨に濡れている。トマムは、駅前でも家が見えない。ホームが雨で濡れているが少し明るくなってきた。次は、新得である。この新得から分かれて滝川に行く根室線があり、この線の新得から富良野までの間は未乗車区間であるが、今回は日程上無理で次回に回すことにする。新得駅から十勝清水駅、芽室駅に止まり、帯広駅に数分遅れで着く。新得駅からは、沿線に住宅が建ち並んでいた。
駅を降りて、仲間の待つ「平和園」という焼肉屋に行くが、初めての駅で道を間違えてしまう。美味しい焼肉を食べ、バーへ行って12時前にホテルに入る。

<第2日目>
自分の担当する講習は、14時30分からである。特にやることもないので、9時前に帯広畜産大学に入る。乗ったタクシーの運転手に16時に迎えを頼む。今日も快晴で、暑い1日となりそうである。
元の職場で一緒であった後輩が亡くなった連絡が4名の仲間からあった。努力を重ね、社会人大学院にも行き、博士号も取得し活躍しはじめていた矢先である。7月に会いに行く予定にしていたが、帰らぬ人となり非常に残念である。合掌。
講師控室で報告書1つを仕上げ送信した。その後、帯広畜産大学構内を散歩する。かなり広い構内であり、白樺の木が沢山植えられている。構内では、学生が指導して子供たちに乗馬をさせていた。

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昼食後、今回の講習会で使用するもう一つのスライドの見直しを行い、明日札幌会場で講演する担当者に渡して貰うよう事務局に頼む。これで2つ目の宿題が終わる。
14時30分から15時40分までの講演が終了し、頼んでいたタクシーに乗り、帯広駅に向かう。そのうち日本で最も寒い町である陸別町に行きたいとタクシーの運転手に話をしたら、運転手さんの出身地であるとのこと。今日の講習会で講師を担当したK氏も陸別町なので話をしたら知っているとのことであった。
帯広駅で出発まで1時間弱あったので、駅周辺を散歩し、昨日間違えたルートを確認した。
17時発の「特急スーパーおおぞら7号」に乗り、釧路に向かう。
車内放送で、これから進行する地域は自然の動物が生息している地域であると説明があった。平野の中を電車は進み、池田に止まり、厚内駅付近で一度太平洋に出る。水はそれほど青くない。ほどなく電車は林の中に入り、尺別でまた太平洋にでた。
白糠には18時19分、釧路には18時39分に着く予定である。
車中で読んだ「JR 北海道」(社内誌)に『アイヌ神謡集」を書いた知里幸恵(ちりゆきえ)の記事があったので読む。金田一京助から出版の勧めがあり、東京で出版の準備を進めていたが完成を待たずに19歳で亡くなったとのことである。「知里幸恵 銀のしずく記念館」が登別にあるとのこと。機会があれば行って見たい。
白糠駅からは、脇に道路が走っている。良く見ていると信号が少ないのに気がついた。
釧路に近づくと、工場やサイロが建ち並んでおり、都市に近づいたことが感じられる。釧路駅には予定通りに着いた。釧路の人口をネットで調べると17万人となっており、帯広市の16万人とほぼ同じであった。
釧路からは1両編成の各駅停車である。18時56分発であるので、間もなく外が暗くなり、景色が見えなくなるが、明日同じ路線を戻るので、その時見ることにする。根室到着予定時間は21時42分である。乗客は、座席(55名)のほぼ半数である。19時20分暗くなる。外が見えなくなってきたので、売店で買ってきた焼酎を飲んでいたら少し音がして電車が止まった。社内放送で鹿に衝突したので、調査をするとのことである。時間から推測すると厚岸と糸魚沢の間である。電車は間もなく動き出し、運転手からの説明もなかった。いつものことなのであろう。
根室駅には、ほぼ予定通りに着く。駅前にタクシーがいたので乗り、旅館に向かう。地方の駅では、タクシーがいないことがあるが、今日はラッキーであった。タクシーがいなければ歩く積りであった。

<第3日目>
天気は曇りである。8時に朝食を取り、9時に旅館を出て歩いて根室駅に向かう。20分ほどで駅に着き、そこから暇つぶしに海に向かって歩く。ほどなく海が見える場所になり、左に折れて海に沿って歩いて行く。右に曲がれば根室港であったことが後で判る。魚の加工会社の近くで写真を撮る。そこから国道に出て駅に戻る。ここまでの歩数は約8,000歩であった。駅前で「花咲かに」のお友達用を4尾買い、家に送る。

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根室駅は、有人駅では最東端の駅である。最東端の駅は、隣りの東根室駅であるが、11時3分発の電車は、「快速はなさき号」で東根室駅には止まらない。前に発車した8時22分発の電車であれば、東根室駅に少し長い時間停車して写真を撮る時間を取ってくれることをこれも後で知った。今日は、日曜日のため観光客が折り返しの電車から降りてきた。電車はほぼ満員の状態で発車した。根室駅では雨がポツリ、ポツリと落ちてきていたが、厚床駅にくると少し晴れてきた。厚床駅は、旧標津線の分岐駅であった所である。広々とした牧草地帯が続いている。茶内駅で交換電車待ちがあり5分ほど停車した。交換電車待ちの間、車内が暑くなり、窓を開けたり、扇風機を回す人がいる。エアコンはついていない。厚岸に着く。左側に海が見える。ここからは終着釧路までノンストップであり、白蒲の林の中を走っている。車内には、同じ「乗り鉄」と思われる人が複数おり、何やらノートに記録している。
13時17分釧路駅到着。駅構内で食事を取る。駅周辺を少し歩き、14時14分発の釧網線(せんもうせん)に乗る。塘路(とうろ)駅の前で電車が汽笛を鳴らし急に速度を落とした。道路も人もいない釧路湿原の中であり、鹿が電車の前に出て来たのであろうか?。釧路湿原の写真チャンスを待って何枚か撮ったが動いているので上手く撮れたか心配である。別の地方路線では、シャッターチャンスの場所で徐行してくれるのであるが・・・。
長い釧路湿原が終わり標茶(しべちゃ)に着く。この駅も旧標津線の始発駅であり、ここから中標津を通って根室標津駅まで走っていた。午前中に通った厚床駅から出ていた標津線は中標津で合流する。車窓からは、時々農家が点在しているのを確認できる。

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摩周湖駅に着く。夕立のような雨が降ってきた。
川湯温泉駅に16時前に着いた。ここからは、摩周湖行きと屈斜路湖行きのバスが出ている。相変わらず小雨が降っている。
16時40分知床斜里駅に着き、オホーツク海の海岸線を走っている。知床斜里では、多くの方が降りた。前の職場で一緒であったI氏が斜里出身であったことを思い出した.車内の窓ガラスが曇り、外が寒いことが判る。
17時14分網走駅に到着、幸い雨は止んでいた。ホテルまで10分歩き、部屋に入った後、市内に散歩に出る。雨が降っている。適当な食事場所を探したが見つからなかったので、コンビニで弁当と飲み物を購入する。

<第4日目>
朝6時に起きる。W杯サッカーでセネガルと引き分けたことを知る。
昨日購入したサンドイッチで朝食を取る。天気は曇りで、気温は10℃程度である。
今日は、網走駅8時6分発「大雪2号」で旭川へ、旭川から「ライラック22号」で札幌へ、札幌から「スーパー北斗14号」で函館に向かう。走行距離約700kmで、17時10分に着く予定である。各駅での乗り換え時間が短いので、網走駅で「カニ飯弁当」を購入する。
網走駅発車前に「この先野生動物が出没する地域を走行し、急ブレーキをかけることがある」と放送があった。予定通り発車する。旭川駅まで4時間の旅である。女満別駅では、進行方向左手に女満別空港、右手に網走湖があるはずであれが、見ることができなかった。美幌駅に8時半過ぎに着く。網走から札幌までは内陸を走るので広々とした大地や林の中を走っている。北見駅には9時前に着く。駅周辺には住宅が建ち並んでおり、大きい町であることが判る。ネットで調べると人口は12万人程度で年々減少している。北見駅で10名程度の人が乗り込んできた。冬季オリンピックのカーリングで活躍した選手の住む町である。「そだねー」を思い出した。網走駅から北見駅までは各駅停車の列車も出ている。
留辺蘂(るべしべ)駅に9時20分頃着く。
生田原駅に着く。キノコの里と書いてある看板が目に入る。駅の左側に立派なRC造平屋建の建物が見えた。
遠軽(えんがる)駅に9時52分到着する。この駅で進行方向が変わるため座席を回転させる。2時間同じ姿勢で左の窓を見ていたので、方向を変え右の窓から見ることで少し楽になった感じがする。遠軽駅の手前から両脇に小高い山が連なり、今までの景色と異なってきた。ここ遠軽は、旧名寄本線の始発駅であり、中湧別、旭ケ丘を経て名寄まで140kmの列車が走っていた。また、中湧別から網走までは、湧網線が走っていた。
丸瀬布を過ぎて上川駅に12時半に着く。ここは、有名な観光地である「層雲峡」への入口である。かなり前になるが層雲峡を訪ねたことがある。期待外れであったが、帰り際に左手を見るとロープウエーが懸っており乗って見ると、その上にリフトがあった。このリフトに乗って行くと可愛い「エゾシマリス」に出会うことができた。そこから少し歩くと万年雪が残っているとのことで、長靴を借り、登山者名簿に記名して雪を見に行ったことが懐かしく思いだされた。
旭川駅には、予定通り11時50分に着く。ネットで調べると旭川市の人口は34万人で、北海道第二の都市である。旭川市には、札幌にあった「寒地建築研究所」が寒地の研究をするにはもっと寒い旭川が良いとのことで移り「北方建築総合研究所」となった後訪問したことがあり、「旭山動物園」にも行ったことがある。旭川での乗り換え時間は10分で短かった。
12時初の「ライラック22号」で札幌に向かった。深川、滝川、砂川、美唄、岩見沢に停車して13時25分に札幌に着く予定である。深川駅は、旧深名線(深川~名寄間122km)の始発駅であつた所である。滝川駅は、根室線の始発駅であり、富良野駅までは乗車しているが、その先新得までは未乗車区間であることは、第1日目に紹介した。滝川をでるとすぐ砂川である。この駅も旧歌志内線と函館本線(砂川~上砂川間)の始発駅であったが廃線になっている。美唄、岩見沢を過ぎて、江別駅の手前に美しい斜張橋が見えた。ネットで調べると石狩川に架かる「美原橋」ということが判った。列車は、定刻どおり札幌に到着した。札幌駅での乗り換え時間は7分で、階段を使ってホームを移動したので、忙しかった。
札幌からは「スーパー北斗14号」に乗車した。函館までの停車駅は、新札幌、南千歳、苫小牧、登別、東室蘭、伊達紋別、洞爺、長万部、八雲、森、大沼、新函館北斗、五稜郭である。
札幌市の人口をネットで調べると197万人となっていた。100万人位かと思っていたら大違いであった。これから走る苫小牧市は17万人、室蘭市は8万5千人、函館市は26万人の人口であることが判った。
苫小牧駅の手前で下に線路が走っていた。調べると、まだ乗っていない「室蘭本線」の沼ノ端駅と遠浅駅の間の線路であることが判った。
登別の手前で線路が二股に分かれていた。何かなと思っていたら日本製紙の大きな工場があり、その引込線である。
東室蘭駅を過ぎると左手に新日鉄住金室蘭製鉄所、それに続いて新日鉄住金セメントの工場が見えた。両工場とも前に仕事の関係で訪問したことがある。東室蘭駅を過ぎると左側に太平洋が現れ、右側には風力発電の風車が斜面に立っていた。
伊達紋別と洞爺の間を走っていた時、右奥に山頂だけ木の生えていない山が見えた。有珠山かと思い写真を撮る。路線図で調べてみると有珠駅があったので間違いないと思われる。
伊達紋別駅は、旧胆振(いぶり)線の始発駅であり、函館本線の倶知安まで83kmを走っていた。
長万部は、3年前にここから函館本線のニセコ、余市を抜けて小樽に出た時の分岐駅である。
列車は停車しなかったが、国縫駅はここから瀬棚駅まで48.4kmの瀬棚線が走っていた。有人の奥さんが瀬棚町に住んでいたことがあると言うことから気になっていた場所である。八雲、森と過ぎ大沼に着いた。森~大沼の間の左側に駒ケ岳があり、その先の海側を函館本線の各駅停車の列車が走っているが、未乗車区間である。また、大沼から新函館北斗駅を通らずに七飯駅に行く路線もあり、この線路を走る電車は少ないのでまだ乗っていない。大沼駅では、東工大のS先生たちと「函館大沼プリンスホテル」に泊ってスキーをしたことを想い出した。
五稜郭を過ぎて函館に定時に到着した。
ホテルに荷物を降ろし、函館市の市電で乗車していない谷地頭~十字街区間を乗るためと今日は電車に乗っているばかりで歩いていなかったので、谷地頭まで30~40分歩くことにした。谷地頭から函館駅前まで市電に乗った。函館は朝市が有名であり、明日朝行く予定であるが、下見を兼ねて歩いてみたら「海鮮丼屋」が沢山あった。1件の店に入り、海鮮フライ定食と焼酎で夕食とした。歩いてホテルに戻ったら丁度1万歩であった。

<第5日目>
朝食後、5分程度であるが海まで歩く。潮の匂いがして気持ちが良い。そのまま函館朝市に行き、青函連絡船「摩周丸」を見る。観光客がバスで沢山訪れている。

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「生うに」を探して買い、9時にホテルに戻る。5,500歩である。これから駅まで歩き、10時過ぎの「スーパー北斗」で新函館北斗に行き。そこから大宮経由で川越に15時過ぎにつく予定である。
函館駅について案内表示を見ると9時49分発新函館北斗行きの各駅停車があった。到着時間を調べるとこちらの方が早く着くので、各駅停車に乗る。新函館北斗駅で昼食用に「根ぼっけバッテラ棒鮨」を買う。根ぼっけとは、「函館恵山沖等の水深150m~200mの所で獲れる真ほっけ」のことと書いてある。「大人の休日パス」の乗客には10%割引で売ってくれた。
新函館北斗駅を10時49分に出発する「はやぶさ18号」に乗る。11時7分木古内から青函トンネルに入る、トンネルの走行時間は25分、最も深い所は海底約250mとの案内放送があった。
青函トンネルを出ると、左側に陸奥湾が見える。11時50分新青森駅に着く。外の景色も北海道と異なる。青森市、弘前市周辺の民間鉄道「弘南鉄道」には、昨年3月に乗っている。
青森市の人口を調べると32万人であり、函館より多い。
新青森駅から長いトンネルに入る。時々地上に出る。トンネルを抜けると七戸十和田である。岩手県の一戸町、二戸市、九戸村、青森県の三戸町、五戸町、六戸町、七戸町、八戸市とあるが四戸はない。「戸」のいわれが六戸町のホームページに出ている。「その起源は平安時代とも鎌倉時代とも言われ、馬との関係がある。鎌倉説は、源頼朝が牧馬政策の一つとして糠部群を起き、ご家人を地頭に任命した。その一人である南部氏が糠部群を九つの部(戸)に分け、戸ごとに七つの村と一つの牧場を置き、九戸を東西南北四つの門に分属させたと言われてきたが、最近では九戸と四門が併存していたとする説が有力である」と記載している。また、同ホームページに「戸」の付く市町村の首長が集まり「戸のサミット」を20回以上開催し、交流をしていること記載されている。
八戸に12時15分頃着く。ここには、八戸工業大学があり、また関係する工場もあって時々訪問している。来月にも訪問する予定がある。ここまで来ると乗りなれた感じがする。
八戸を過ぎてもトンネルの中を走行している時間が長い。
盛岡の手前で、函館で購入した「根ぼっけバッテラ棒鮨」を食べる。昆布の香りが浸み込んでおり、真ほっけも淡白で美味しかった。
車内で、7月1日に開催される「初雁温知会」(松平周防守の家臣の集まり)で報告する墓参旅行の計画案を取りまとめている。今年は、兵庫県の篠山市、京都市、松阪市を2泊3日で訪問する予定であり、「本居宣長記念館」に立ち寄り、館長さんに講演をお願いすることを考えている。
仙台に13時25分に着く。函館から2時間半である。ここから約1時間で大宮である。
長い旅も終りが近づいてきた。北海道の列車に乗り、廃止された路線が多いのに気がついた。3年前に乗った留萌線の留萌~増毛間も廃止になっている。損傷した設備の普及もままならず、バスで代行輸送している区間もある。旧国鉄時代には、北海道も主要都市間を結ぶ鉄道路線が細かく敷かれていたことが実感できた旅であった。北海道で残された未乗車区間は、根室線の富良野~新得間、室蘭本線の沼ノ端~追分間、函館本線の森~大沼間と大沼~七飯間、札幌の地下鉄である。早い機会に終わりにしたい。