浜田・棚倉・川越藩主「松平周防守」
家臣末裔(子孫)の会「初雁温知会」
「松平周防守」は、慶応2年から明治4年までの5年弱川越藩主・知事を務めた元殿様である。この松平周防守の家臣であった者の末裔(子孫)の集まりが「初雁温知会」であり、お殿様の子孫の方も名誉会長・会員として参加して頂いている。
殿様の子孫の会はたくさんあるようであるが、家臣の子孫の会は少ないと聞いている。
この会の第1回会合に父が出席しており、第2回からは叔父も参加している。父が亡くなり叔父が一人で出席していたので、一緒に出席しようかと言って入会したのが平成10年である。役員の方々が高齢であったので受付を手伝いましょうかと言ったら、それなら役員になれと言うことで役員になり、墓参旅行の計画や会合時の下働きをしてきた。
現在は少し若い役員の方がいるが、2年程前までは5人いた役員の内80歳代の方が4名で、70歳代は私一人であった。昨年6月の総会で会長が退任することになり、長年役員をしている中で最も若い(後期高齢者に該当するが)ことから会長を引き受けることになった。
この会は来年10月で創立50年を迎えます。新しい会員の募集、50周年記念事業の計画を進めていますので、松平周防守にゆかりがある方は、「初雁温知会」のホームページ(https://hatsukari99.wixsite.com/mysite)を見て頂き、入会を希望される方は同ホームページの連絡先から申込をお願い致します。
1. 初雁温知会の歴史
初雁温知会は、明治13年に旧川越藩関係の在京学生で組織した「郷友会」が始まりである。その後、学生だけの懇親会だけでなく在京の旧藩士まで広げる検討が進められ、明治42年に「郷友会」を発展改称して旧家臣及び旧藩に縁故のある者による「三芳野温知会」が作られている。また、ほぼ同じ時期に川越に在住していた旧家臣及びその子孫からなる「川越温知会」も作られている。
「三芳野温知会」及び「川越温知会」は、昭和20年の敗戦による混乱から自然消滅した形になっており、江戸・明治・大正・昭和と続いた旧藩士の交流が無くなっていた。
三芳野温知会時代の交流を懐かしむ声があり、昭和42年11月に復活のための準備会を開催し、6回の準備会を経て昭和46年10月に「初雁温知会」として再発足している。
2. 郷友会について
郷友会は、在京の旧藩士学生10名が発起人となり会員39名で結成している。設立大意によると、隔月に集まりを持ち演説、討論、志を述べ、病・困窮などがあれば助け合うことで幸せになることを目的とすることが述べられている。規約書、幹事心得、発起人、会員姓名録などの設立時の記録があるが、詳細な活動記録は見つかっていない。
このような助け合いの会を作るきっかけとなった理由の一つに、山あり、海あり、海産物ありで合計178年住み慣れた島根県浜田から福島県の山間にある棚倉へ転封し、住居及び食べ物に困りながら32年間共に苦労を重ねた経験があったものと考えられる。
3. 三芳野温知会
三芳野温知会は在京の旧藩士を中心に準備が進められ、郷友会から三芳野温知会へ移るための検討が長年に渡って進められていたが、財政的裏付けがなく再三に渡って挫折を繰り返していたようである。基本金を集めることのめどが立ち、明治42年に郷友会から三芳野温知会に規約を改めている。
三芳野温知会は、旧君臣の情宣を温め、永遠に愛郷心を発揮し、同郷人の発展を図ること
を目的としており。役員は会長1名、幹事6名(内1名は殿様の子孫)で構成し、設立当初の会員数は98名であった。
事業としては春・秋2回の会合、旧藩士子孫への奨学金の貸与、優秀学生の表彰、会報の
発行を行っている。
大正元年8月には、社団法人としての認可を得ている。
会報は、明治42年の名簿の編を初めとし創刊号から第35号(昭和20年1月)まで毎年
発行している。
4. 川越温知会
川越温知会は明治40年に設立されているが、会報を発行しておらず活動の記録が少ない。
さいたま地方法務局へ行き「川越温知会」の登記簿謄本を取って来た。それによると、大正4年に財団法人として認可を得ており、資産の総額は2千2百8拾円である。目的は、「旧川越藩君臣の情宣を温め併せて当地に現住せる旧藩士族子孫に対する学事奨励のために金品を贈呈す」となっている。
三芳野温知会会報第3号(明治45年発行)に「川越町の元入間縣時代(明治4年の4カ月間)に旧川越藩士の共有として下渡しされたる教育資金と称する財産あり・・・」と記載されているので、この資金を基に財団法人として設立を許可されたものと考えられる。
川越温知会では、毎年学年末に旧藩士の子孫を三芳野神社に集め、卒業生には賞状と記念品を、進級する子孫には半紙を配り学事の奨励を行っている。(写真参照)
5. 初雁温知会
初雁温知会は、年2回の例会、松平周防守ゆかりの地をめぐる墓参旅行及び会報の発行を行っている。運営費用については、当初基本金の利息をあてにしていたが、現在は利息がほとんどないので会費で賄っている。
例会は、7月初めと12月の初めに開催しており、7月は総会、12月は長寿顕彰を中心に懇親を深めている。長寿顕彰は、喜寿と米寿を中心に白寿の方についても顕彰している。
墓参旅行は、初代康親公の出身地である愛知県の吉良町(現西尾市吉良町)、2代康重公が藩主を務めた兵庫県丹波篠山市、3代~10代までが178年間藩主を務めた島根県浜田市、川越に来る前に藩があった福島県東白川郡棚倉町の4か所を中心に毎年1か所、4年1サイクルで訪問している。これら4か所の旅行に合わせて、初代及び2代が藩主であった静岡県沼津市、2代が藩主であった茨城県笠間市、大阪府岸和田市、7代康福公が藩主であった愛知県岡崎市、2代康重公・3代康映公・4代康官公及び6代康豊公のお墓がある京都市、8代康定公と縁の深い本居宣長が住んでいた三重県松坂市などを訪問している。
このような墓参旅行が縁で、昨年浜田市で開催された「浜田開府400年祭」では、長年の交流に対して「功労賞」と記念品を戴いている。
6.現在進めていること
初雁温知会が発足してから来年で50年になり、郷友会設立から考えると140年になる。この間、松平周防守に関係する資料、「三芳野温知会会報」・「初雁温知会会報」などの資
料が逸散しており、今後益々収集が困難になると考え関係資料の電子化(PDF化)を進め
ている。最近未収集であった「三芳野温知会会報」が18号分見つかり残り2号分となった。
「初雁温知会会報」は49号すべて収集済みである。
来年度には、川越市民向けに松平周防守の功績を紹介する講演会の開催を検討している。
7.おわりに
松平周防守に官益のない方には興味の沸かない方もおるかと思われるが、先祖の苦労をしっかりと受け継ぎ同窓会のような組織を永年継続していることにご理解を頂きたい。
別にも色々な会に携わっているが、継続することが中々難しい。
元の職場の関係者の集まりの会は設立36年を迎えるが、設立当初の60歳であった方が96歳になり、40歳であった私が76歳になる。現在の職場に在籍している職員もメンバーになっているので継続できているが、親から子へ、子から孫へと引き継がれている会は少ないものと考えられる。継続を第一に、楽しく、有意義な会にするために悩んでいる所である。
以上